2011.03.18
タイから見た地震
僕が地震の事を知ったのは11日の夕方。
タイでの生活で、テレビを点ける事は殆どない。
日本のニュースはネットで見ている。
11日の夕方、知り合いの日本人に『ランさんの所地震大丈夫でしたか?』って聞かれたのを切っ掛けに、エルのお母さんからも電話。
エルが『日本にもの凄い地震が来たんだって!』
東北で起こったと聞いて、僕の実家からは結構離れてるし・・・。
と、この時はあまり気にもとめてませんでした・・・。
すいません。
12日は朝早くから用事があり、出かける。
電車でとなりに座ったファランが何やら会話してた。
内容はよく分からないけど、時々会話から聞こえて来る『JAPAN、THUNAMI。』と言う二つの言葉・・・。
昨日の地震の事話してるのかな・・・、にしても津波って・・・。
エルのあ母さんやファラン、勿論日本人に津波の話を聞いて、夕方部屋に戻り慌ててテレビを点ける。
思わず『うわぁー!』って声が出た。
こんなにスゴい事になっていたなんて・・・。
映像を見ているだけで、恐くなる。
恐くなると同時に、岩手出身のウスラさんを思い出す。
『実家は海の近くなんですよ。今度遊びに来て下さいよ。上手い魚いっぱい食えますよ!』
というウスラさんの言葉が僕の頭の中で繰り返される。
慌ててウスラさんに連絡してみるも、連絡とれず。。。
ウスラさんは現在退職されているので・・・。
なので、R君に連絡する。
R君の話では、同じ岩手出身のメガネ君の実家は海から少し離れているみたいで何とか大丈夫らしいけど、ウスラさんの実家は・・・。
東京も食料不足に停電。ガソリン不足らしい。。。
僕はただおどおどするだけで・・・何もする事が出来ない・・・。
今度はタイに住んで居る友達の女の子の実家が茨城だと聞いていたので連絡してみた。
『地震大丈夫だったん?』
『うん。家族は全員大丈夫だけど、被害の範囲が広過ぎてまだ水が届いてないって・・・。』
『日本に帰るん?』
『ううん。帰っても何も出来ないして・・・、一人分の食料が増えるだけだし・・・。』
『・・・・・。とりあえず良かった。何かあったら連絡してね。』
僕は言葉に詰まった。
何と言って声を掛けたら良いのか分からなかった。
命はあったけど、被害を考えると『良かったね。』と言えなかった。
僕は学生の頃、地震の勉強をしていた。
僕の記憶が確かなら、この地域は30年~40年前にも地震があったような・・・。(間違ってたらすいません。)
もし僕の記憶通りなら、30年~40年後にこの地域にまた地震が来る可能性は充分に考えられるはず・・・。
地震は来る事は分かっていても、予想出来ても防げない。
対応するしかない。
いや、地震だけじゃない。
自然の力に対して全てがそうなのかもしれない。
自然と共存して行く事はもの凄く難く、厳しいものなんだと実感した。
現在はインターネットなどによって情報を比較的早く得る事が出来る時代。
ネットもメディアも携帯も普及してない時代ってどんなものだったのか・・・。
今より被害はやはり大きかったのか・・・。
そんなネット時代に僕が今回の地震の事を知って一番に見たのがNHK。
けど、このNHK・・・、NHKworldでタイトルの通り世界バージョン。
なので、英語。
時々日本語もあるけど、ほぼ英語。
僕の英語力不足のせいもあるけど、見ていてちょっとイライラする。。。
世界に向けて発信しているのは分かるけど、日本人が見る割合の方が多いと思うから、字幕なりちょっと考えて欲しいと思った・・・。
エルの友達に二ムちゃんってコが居る。
その子の彼氏は日本人で、宮城出身らしい。
その彼氏から毎週土曜日には必ず連絡があるみたいだけど、連絡がない・・・。
二ムちゃんに、何とか連絡取ってくれと電話番号を教えられたけど・・・。
自分の無力さを痛感した。
電話一本繋ぐ事が出来ない・・・。
彼女は泣いていた・・・。
『大丈夫だよ!』と僕は励ます事しか出来なかった。。。
確かに悲しい辛い出来事だったけど、その辛い悲しい中での日本人。
エルのお母さんからワザワザ電話があって、『何で日本人はあんな事が出来るの!』と。
あんな事とは、階段の真ん中を人が歩けるように空けて座っている様子や電話、水を貰うのにちゃんと並んで待っている様子。
このような様子がタイのテレビでもかなり流れていた。
エルのお母さんだけではなく、出会うファランやタイ人、勿論エルからも同じ事を言われた。
実際にエルのオバサンはプーケットの津波の時、津波の後にプーケットに行ったらしい。
『勿論人命救助じゃないよ。強盗しに行ったんだよ。』とエルが付け足した。
そう、死体から金品を奪いに行ったらしいです。
世界中の人が言う、あんな事が普通に出来る日本人。
もし、自分があの場所に居たら同じように並んで列を待って、同じように真ん中を空けて座ったと思う。
僕はこれまでに日本人で良かった。とか、日本人を誇りに思う事はあまり意識して考えた事は無かった。
けど、タイに住んで、外から日本を見て、改めて自分は日本人であって、日本人を誇りに思った。日本を愛しているんだと思った。
あんな事が普通に出来る日本人なら必ずこの困難も乗り越えられると思います。
僕も出来る事から協力して行きたいと思います。
ランさん頑張れ!!!
↓
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アドレスransan@hotmail.co.jpまで
つづく
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タイでの生活で、テレビを点ける事は殆どない。
日本のニュースはネットで見ている。
11日の夕方、知り合いの日本人に『ランさんの所地震大丈夫でしたか?』って聞かれたのを切っ掛けに、エルのお母さんからも電話。
エルが『日本にもの凄い地震が来たんだって!』
東北で起こったと聞いて、僕の実家からは結構離れてるし・・・。
と、この時はあまり気にもとめてませんでした・・・。
すいません。
12日は朝早くから用事があり、出かける。
電車でとなりに座ったファランが何やら会話してた。
内容はよく分からないけど、時々会話から聞こえて来る『JAPAN、THUNAMI。』と言う二つの言葉・・・。
昨日の地震の事話してるのかな・・・、にしても津波って・・・。
エルのあ母さんやファラン、勿論日本人に津波の話を聞いて、夕方部屋に戻り慌ててテレビを点ける。
思わず『うわぁー!』って声が出た。
こんなにスゴい事になっていたなんて・・・。
映像を見ているだけで、恐くなる。
恐くなると同時に、岩手出身のウスラさんを思い出す。
『実家は海の近くなんですよ。今度遊びに来て下さいよ。上手い魚いっぱい食えますよ!』
というウスラさんの言葉が僕の頭の中で繰り返される。
慌ててウスラさんに連絡してみるも、連絡とれず。。。
ウスラさんは現在退職されているので・・・。
なので、R君に連絡する。
R君の話では、同じ岩手出身のメガネ君の実家は海から少し離れているみたいで何とか大丈夫らしいけど、ウスラさんの実家は・・・。
東京も食料不足に停電。ガソリン不足らしい。。。
僕はただおどおどするだけで・・・何もする事が出来ない・・・。
今度はタイに住んで居る友達の女の子の実家が茨城だと聞いていたので連絡してみた。
『地震大丈夫だったん?』
『うん。家族は全員大丈夫だけど、被害の範囲が広過ぎてまだ水が届いてないって・・・。』
『日本に帰るん?』
『ううん。帰っても何も出来ないして・・・、一人分の食料が増えるだけだし・・・。』
『・・・・・。とりあえず良かった。何かあったら連絡してね。』
僕は言葉に詰まった。
何と言って声を掛けたら良いのか分からなかった。
命はあったけど、被害を考えると『良かったね。』と言えなかった。
僕は学生の頃、地震の勉強をしていた。
僕の記憶が確かなら、この地域は30年~40年前にも地震があったような・・・。(間違ってたらすいません。)
もし僕の記憶通りなら、30年~40年後にこの地域にまた地震が来る可能性は充分に考えられるはず・・・。
地震は来る事は分かっていても、予想出来ても防げない。
対応するしかない。
いや、地震だけじゃない。
自然の力に対して全てがそうなのかもしれない。
自然と共存して行く事はもの凄く難く、厳しいものなんだと実感した。
現在はインターネットなどによって情報を比較的早く得る事が出来る時代。
ネットもメディアも携帯も普及してない時代ってどんなものだったのか・・・。
今より被害はやはり大きかったのか・・・。
そんなネット時代に僕が今回の地震の事を知って一番に見たのがNHK。
けど、このNHK・・・、NHKworldでタイトルの通り世界バージョン。
なので、英語。
時々日本語もあるけど、ほぼ英語。
僕の英語力不足のせいもあるけど、見ていてちょっとイライラする。。。
世界に向けて発信しているのは分かるけど、日本人が見る割合の方が多いと思うから、字幕なりちょっと考えて欲しいと思った・・・。
エルの友達に二ムちゃんってコが居る。
その子の彼氏は日本人で、宮城出身らしい。
その彼氏から毎週土曜日には必ず連絡があるみたいだけど、連絡がない・・・。
二ムちゃんに、何とか連絡取ってくれと電話番号を教えられたけど・・・。
自分の無力さを痛感した。
電話一本繋ぐ事が出来ない・・・。
彼女は泣いていた・・・。
『大丈夫だよ!』と僕は励ます事しか出来なかった。。。
確かに悲しい辛い出来事だったけど、その辛い悲しい中での日本人。
エルのお母さんからワザワザ電話があって、『何で日本人はあんな事が出来るの!』と。
あんな事とは、階段の真ん中を人が歩けるように空けて座っている様子や電話、水を貰うのにちゃんと並んで待っている様子。
このような様子がタイのテレビでもかなり流れていた。
エルのお母さんだけではなく、出会うファランやタイ人、勿論エルからも同じ事を言われた。
実際にエルのオバサンはプーケットの津波の時、津波の後にプーケットに行ったらしい。
『勿論人命救助じゃないよ。強盗しに行ったんだよ。』とエルが付け足した。
そう、死体から金品を奪いに行ったらしいです。
世界中の人が言う、あんな事が普通に出来る日本人。
もし、自分があの場所に居たら同じように並んで列を待って、同じように真ん中を空けて座ったと思う。
僕はこれまでに日本人で良かった。とか、日本人を誇りに思う事はあまり意識して考えた事は無かった。
けど、タイに住んで、外から日本を見て、改めて自分は日本人であって、日本人を誇りに思った。日本を愛しているんだと思った。
あんな事が普通に出来る日本人なら必ずこの困難も乗り越えられると思います。
僕も出来る事から協力して行きたいと思います。
ランさん頑張れ!!!
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つづく
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